映画評

キングダム・ヘブンを見に行くつもりが、ライフワークな方面に。
久方ぶりの映画です。

バッド・エデュケーション


若くして、監督作品を成功させたエンリケ(フェレ・マルティネス )の元に、かつての親友イグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が現れる。
記憶の中とはあまりにも違う初恋の相手は今は俳優をしていて、アンヘルと読んで欲しい、俳優として使ってくれないかと、一冊の脚本「訪れ」を置いて去る。
それは彼らの過去を描いた作品だった。

「訪れ」の中、イグナシオはサハラと名乗る妖艶なドラァグ・クィーンとして生きていた。
そのサハラはマノロ神父に子供の頃の出来事を理由に脅迫を目論んでいた。
神学校で優秀な歌い手だったイグナシオは、エンリケとの逢瀬を神父に見つかり、神父の個人的なお気に入りだった彼はエンリケの退学処分の撤回を条件に神父に身を売ったのだ。
だが、その後エンリケは退学となり、イグナシオは復讐を誓う。
脚本の中、サハラは男と一夜を共にし、その相手がエンリケだったと知る。
彼は神父への復讐と、エンリケへの愛を手紙に残し、立ち去った。

再び訪れたアンヘルは、エンリケに自分をサハラ役として登用してほしいと迫る。
エンリケはその見返りにとアンヘルに関係を迫るが、彼は激昂して立ち去った。
そのアンヘルが忘れたライターから、エンリケは彼の身元を調べ、本当のイグナシオがすでに死んでいる事をつきとめる。




あまりにも、使い古された展開で、なんともコメントのしがたい作品となりました。とりあえず、所謂「全米カトリック教会がうんぬん」とか、おすぎだかピーコだかのお得意な評は客寄せに過ぎないので無視してもOKかと。
ともあれ、劇中劇というスパイスに、ガエル・ガルシア・ベルナルの演技はなかなかの物で、下世話ながら、ベットシーンが面白いです。
サハラとアンヘルの時も異なるし、アンヘルでも対する相手で全く違う。
これがハングリーな俳優精神っちゅーものなのか。はたまたその名の示す通りの純粋な存在ゆえなのか。
もっとぶっちゃけ、監督さん、ゲイ(ムービー)を研究なさってらっしゃる。
あるいは…、と。

中盤から明かされる「本当の」イグナシオは、これまたご定番の展開なれど、胸が苦しくなる事請け合いです。
エンリケが、最後までアンヘルに騙されたふりをしたのは、彼への愛なのか、またはエンリケアンヘルの策にはまったのか。

サスペンスとしてはいまひとつの出来です。
ドラマとしてもいまひとつ。
映像の手法も目新しくなく。

この時代に生まれては60点以上をつけようのない作品ですが、お涙頂戴とか耽美一直線に走らなかったのが唯一の助け、でしょうか。