今更「リング」「らせん」

リング (角川ホラー文庫)

リング (角川ホラー文庫)

自分は原作->映画を重視する人間である。
読書の醍醐味とは想像力にあるからだ。
逆のノベライズ物も好きだが、自分の脳内で描かれるシーンほど素晴らしい物はない。
…が、この作品群はどうにも食指が伸びず、とうとうテレビ放映された映画を見てからの読書となってしまった。

まず第一作の「リング」だが、こちらは原作も映画もなかなかに秀逸である。
映画版「リング」が、「スィートホーム」のような「日本の古典的ホラー」を描いた視覚的な物に対して、原作は現実的な「謎」が「呪い」という非現実性を徐々に認めていく怖さにある。
大筋は原作も映画も同じだが、原作はビジュアル的な「怖い」「呪い」を一切排除している。そのストイックさは小気味良いくらいだ。
また、登場人物が単なる不幸な犠牲者ではなく、かといって呪いを背負う理由がある訳でもない。主人公浅川は自分の好奇心から自発的に原因を探り、ビデオを見ているし、協力者の高山竜司はそもそもが終末思想の持ち主だ。リアル薮蛇の典型なのである。

また、映画では主人公の女性が担った役を原作では男性が負っている部分も余韻の違いを醸し出している。
映画は単に女(母親)の強さだけが残るが、原作の浅川は仕事にかまけて家庭を顧みておらず、かといって家族をそれなりに大切に思っている。
妻は夫の帰りが遅くても起きても来ない。なぜなら幼い娘が居るからだ。余談ながらこの時期、男が初めて「浮気」をするタイミングですな。世の男が他の女(の体)に惹かれる所、浅川はスクープと呪いのビデオに惹かれていった。
映画の浅川(女)と、原作の浅川(男)がビデオとデッキを持って車を駆る姿は同じようで、全く違う。

らせん - (角川ホラー文庫)

らせん - (角川ホラー文庫)

上記「リング」の続きがこの「らせん」にあたる。
自分は続けて読んだので、リングの余韻があり、浅川の妻と娘、そして義父母のその後がなかなか感慨深かった。
…ところが、である。
後記を信ずるならば、この「らせん」は「リング」のヒットに気を良くして書いた続編ではなく、最初からあったというのだ。
ならばこそ言わねばならない。
この作品。完全に「蛇足」である。
「リング」で培った「ビジュアル的に描かない非現実の面白味」を、「らせん」はかなぐり捨ててしまった。
しかも、面白かった現実と非現実(呪い)の傾向さえも、曖昧にぼかし、下手にウィルスを持ち出してしまった。(この辺り、作中人物の台詞は、作者の苦し紛れの言い訳にダブって聞こえる)
そしてこの展開、読者の中には「パラサイト・イブ」を思い起こした人も多いだろう。

ぶっちゃけ、この「らせん」。
「リング」を読んで、その描写と理由付けに不満を抱いたホラー好き人間がその後「パラサイト・イブ」を読み、そうそう、こんな感じでこじつけて…と筆をとり、最後には日頃からの山田太一ドラマ好きが講じてあららファンタジーに陥っちゃった…
というようなシロモノなのである。ホンマに作者同じだろうか?と思うほど、テーマに一貫性が無く、とりとめがない。

「リング」の貞子は実に魅力的だ。怨念と悲劇を背負い、語らぬ存在ゆえの存在感を持っている。
だが、「らせん」の貞子は完全に俗物である。これまた、別人なのだ。勿論、「らせん」の貞子は本来の貞子ではない、とも言えるだろう。それにしたって…酷すぎである。
「リング」で、井戸の底から感じる貞子の「目」に底知れぬ恐怖を覚えた人にとって、「らせん」の貞子は和製スピーシーズとでも呼びたくなるような親しげで安っぽい印象を受けてしまうだろう。

「リング」は多分ホラーの歴史に残してもいい小作品だ。
だからこそ、この蛇足が少々悔やまれる。
…だが、所詮続編は難しいのだ。読者も作者も共に二匹目の泥鰌は期待してはいけないのかもしれない。

余談ながら、最後まで「上書きされたビデオ」の効力を疑ったのは私だけだろうか?