ビックリした
この質問およびいわし。
立証できない物は科学ではない、という定義。
とどのつまり、自分たちが科学だと銘打たれ、そう信じて勉強してきた科学の大部分は科学ではない、という事になる。
逆に一定法則が立証されてしまえば科学らしい。
んじゃ、宗教ってまんま科学じゃん。
同時に常に限界がある科学は宗教と同じ
「自らの能力で知りえる範囲で立証できれば絶対である」のだから。
進化論を教えないのって、非科学的ダナ、と思っていたけれども
結局は同じ穴のムジナだったのだ。
種の起源やら、そういった未知でましてや立証できない部分に踏み込み、仮説を組むのは立証できるまでずーっと科学ではありえないのだ。
永遠に。
じゃ、そういう人たちは何してるんだろう?
妄想?
宗教?
ロマンチスト?
でも世の中の仕組みを完全に理解し得ない人間が科学する事は永遠に不可能なわけで。
自分は科学をしている、と考えている人々も結局は分かる範囲、立証できる範囲で科学してるんだから
科学って自己満足と妄想なんだネ。
そしてそんな結果に寂しくなるワタシはネッシー世代。
やっぱ夢見てんだネ。
- 早速ご本人からトラバが!激早!
http://d.hatena.ne.jp/bluesy-k/20060221/nazo
「…はぁ」
の一言と同時に
上のに関連して、こんなトラバが。言ってることが意味が分からない。
といただきましたヨー!
自分は馬鹿なのでもっともっと言ってることが意味わかりませんが!
http://www.hatena.ne.jp/iwashi?mode=detail&iid=56791
でKazuhisaNagataさんは
「科学的」という言葉の意味は科学の領域の範囲内でしか使えません。実験的に確証が得られないものに「科学的」という言葉を使うのはえせ科学であり科学ではありません。
とある
これはbluesy-kさんの
実験的に確証を与えられるまでは、その理論が「科学的な」説明を与えているとは言いがたいでしょう。
を受けた物だ。
例えば最近の「アポロは月にいかなかった」なんぞは確証の得られない科学=えせ科学とかいうらしい。
ところが、本人がいわしで
数学や論理学も科学の中に入ることを考えると実験科学・経験科学のみが科学ではない、ということはコメントしておきたいと思います。その上でCOKE-YES-COKEさんのいう「科学」は宇宙について議論するためのものである以上主として物理学を念頭においた経験科学
と追加。
ん?ますます訳がワカランぞ。
1:実験科学・経験科学のみが科学ではない
2:実験的に確証を与えられるまでは、その理論が「科学的な」説明を与えているとは言いがたい
3:COKE-YES-COKEさんのいう「科学」は宇宙について議論するためのものである以上主として物理学を念頭においた経験科学
つまり、実験科学・経験科学以外でも、実験的に確証を得れば「科学的」だ、という訳ですね。
COKE-YES-COKEさんの質問(というか求める回答)は「実験的に確証を得」ているか?
…No。つか、それこそが回答で指摘した”科学的ではない根拠”ではないのか?
…パラドックス。(@▽@)
もちついて、実験科学・経験科学について分かりやすそなトコを探す。(ちょっと途中からあやしげだけど)
http://www.geocities.jp/rsyhs454cam_med2004/page8.html
まとめ。
「実験的に確証を与えられるまで」の科学はありえる=プロセスの科学=経験科学
では経験科学上の仮説(そこまでの知識における推測、憶測)は「確証を得ていない」から「非科学的」という話になる。
これって、「サッカーの試合で、”試合中”はサッカーをして”いる”言えるが、その試合が終わった結果、その試合に勝っていなければサッカーを”した”とは言えない」って事だよね。
アポロネタでも、その仮定->結論は我々素人には大変科学的に思えるのですが(説の肯定も否定も)
何故か科学の世界ではそれが誤っていたと分かった時点で「えせ科学」になっちゃうらしいのです。
うわ、漢らしい世界ダナ!科学って!
で、この「全部立証できねーじゃん!それっておかしーんだろ?」って考え方が生んだのがID理論な訳だ。こうしてみるとそれって実に「科学的(科学者的?)」な考え方に立っていたのだ。
進化論もID理論も、実験的確証を得られない間はえせ科学になる可能性がある。(多分永遠に)
そして、そのプロセス自体は科学だが、確証を得ていない以上、科学ではない。
それが
自分で物を考えない人に対する「科学的な」説明など存在しません
に掛かるのかもしれない。
「他人のまだ立証されていないプロセス」は自分にとっては科学足りえないから。
人様の仮説を肯定したり否定したりするのは科学だけど、そのものを他人が見聞きした時点で科学ではなくなる、という訳で、教科書で科学を勉強するのは不可能という事になる。
自分たちが接してきた「科学」のうち、一体どれだけが非科学だったんだろう。
その定義から行くと一体世の中に科学って、どれだけ存在するんだろうか。
と、鬱な気分になりつつ、そういう科学の考え方自体がとんでも説の起源でもある訳で。