question:1204193346

質問文を読む限り、「(自分が)空気を読んで動いている」のであって、「他者を空気に沿って動かす」とは思えなかったのだけれども…
なんだか、「空気読め」!的な人をあらわしているような回答があったりしてツリーが伸びてる。

年齢にもよるかもしれないけれど、少なくとも社会人=成人した感覚で他者に「空気読め」と言う人間は、無能だと公言しているようなものですよネ。
誰一人「エラ」いとも思わないし、「エラ」ぶっているとも思ってなどもらえない。
論理的に説明や表現、説得ができない、という証明なんですから。

日本古来(?)の大人の手法に「なぁなぁ」「まぁまぁ」という物がありますよな。

ホンネよりタテマエ。
論理よりも馴れ合い。

まさしく、「空気読め」を、上段に立つ事なく強要してきたのが、日本社会。
ところが、これが「KY」だのと幼い言葉を用いて面と向かって口にする事で、この日本的な「非論理的感覚」の正当化が、「強要」される様が顕になった。
かつては、こうした曖昧で、根拠も正論もない逃げ口実を一番嫌っていたのは若者のはずなのに、今では若者が率先して馴れ合いを理由に個性や少数意見を潰してしまう。

ほんの少し前までは、まさしく「空気読め」なんて発言をする人間こそが「空気が読めない」存在だったはず。
そんな言葉を口にする事こそが、場の「空気」を汚す原因だったのだから。
ところが、今では場を汚すどころか、多くの人間がそれに賛同するのが「良し」と感じてしまう。
個人の意見や理由なんてどうだっていい。ただ、「自分は”みんな”と同じ」という安心感を優先したい「なぁなぁ」人間が増えたから。

安易で根拠が無い、というのは同感。
その理由が「<みんな>=空気」で片付けられているのも同意。
ただ、その空気たる<みんな>は実際に存在している。言うなれば<みんな>そのものが「空気」…あってもなくても気にならないような「集団記号」化してしまっている事はないだろうか

本当は、そんな事ありえないはず。
人間は記号ではなく個なんだから、例え意見が99対1になったとしても、その99は「同じ空気」ではなく、それぞれの理由がその立場を位置付けているはずだから。

ただ、どうも自信がない。
「空気読め」なんてボキャ貧な輩と、それに同意するような輩に「個」なんてあるだろうか。
全く考える事を放棄して、空気を読んで動いている「だけ」な奴ばっかじゃないだろうか。

これ以上、無個性な人間がどんどん増えて、個性をあらわすにはドロップアウトしかない、なんて社会。怖いなぁ