意識「のようなもの」

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question:1117445902

想定していたとはいえ、30代と40代のペースが雲泥の差です(^▽^;)

さてさて、結果ですが

30代

文字離れ率:40%(読まない+バールって何+いわし)
意識を持っている率:31%(「昔は」で始まる)
変化を感じない(あるいは無関心)の率:37%(昔も今も混在して使用)
投票0:昔は混在->最近は「xxようのもの」に統一

最近の動向
「xxようのもの」:「xxのようなもの」:「混在」
1:9:61

40代(93/100時点)

文字離れ率:7%(読まない+バールって何+いわし)
意識を持っている率:27%(「昔は」で始まる)
変化を感じない(あるいは無関心)の率:61%(昔も今も混在して使用)
投票0:昔は「xxのようなもの」->最近は「xxようのもの」に統一
    昔は混在->最近は「xxようのもの」に統一

最近の動向
「xxようのもの」:「xxのようなもの」:「混在」
0:5:82

30代の文字離れ率が顕著です(=▽=;)わー。
動向は少なくとも「昔」の個人差があるので最近にのみ絞りました。
これは混在の圧勝ですね。
「昔も今も混在して使用」、の項はこの選択肢の場合、文字離れ項に入れたくないが実は表現に無関心な票も(実質的には無効票)かなり加味しなければならないのですが、最近における混在使用は揺ぎ無い、って所でしょうか。
次点が「昔は「xxのようなもの」->最近は混在」ですがこちらは大体どちらの年齢層も同じ割合です。

ところで最近頓に思うのが新聞の週刊誌化。
冒頭で感情的な表現や描写をしておいて、後から客観的な事実を記載する。
そういう事は社説でやれや、って誘導が記事のあちこちに見られます。
同じ新聞社の記事でもネットニュースは簡略化された分マシか。